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こんばんわ。 うーーさむ。 また、じぶんの今年ふりかえり、パート2。 だいぶまえから、じぶんの中の闇、または、影のことを、つよく、かんじていたのです。 どなたもが、もちそして、いろいろなかたちで、おつきあいしているものですね。 この闇、影は、べつに、悪というべきものでなく、ひかりには、かならず、ついてまわります。 そして、大小は、あるにせよ、すべてのひとが、なにかしら、かんじられていると、おもわれます。 この、闇、影と、対決する、時が、ぼちぼち、やってきているのを、インドに、いるときより、からだが、わかりはじめているっていうんかなー、ってかんじですわ。 ヨーガや、ヴェーダーンタをしているひとたちから、肌で、つたわってくることは、とても、げんしてきな、怒りや、恐れ、そして、喜びを、はっしているんですよね。 とても、つっけんどんだったり、権力志向むきだし、だったり、また、やわらかさも、含めてね。 また、詐欺や、教祖というのも、とても、人間的といえば、人間的でしょ。 そのようなものを、わたしは、拒否しつづけているところが、あるわけです。それを、なんらかのかたちで、うけいれていくっつーのか。 これは、一例ね。 また、ヨーガや、ヴェーダーンタをしていて、どんどん、いろいろな、こころの、抑制が、とれてくるんやな。わたしのばあい。 これは、おさえていた、おもい、が、表面にでてきつつあるということも、いうことが、できるとおもいます。これに、なろうという、おもいね。 ヴェーダーンタのアシュラムは、血みどろなところが、あるんですね。なぜなら、やっていると、自然に、自分そのものが、それぞれのひとから、でてくるからね。 でも、この、じぶんの闇、影の、とりこみは、しくじると、破滅します。そのために、それを、するべき、時期というのが、時間のながれのなかで、よういされているように、かんじます。 うまくいけば、まさに、創造的、自分が、自分に、なることが、かのうなものです、きっと。 このときのために、ヨーガで、からだをつくり、ヴェーダーンタで、こころの準備をととのえている、ともいえなくない。 じぶんを、エディプスコンプレックスとすると、たしかに、わたしは、待てないし、我慢ないかなー、そして、現実に落とし込むのが、おせじでも、うまいとは、いえないかな。 いままで、待つなんてこたーしてこなかった。しかし、ことし、本気で、待ちをしなければいけないときが、後半まってたわけよ。そして、実際、ゴルゴ13が、けがしたときに、じーーっとしてるように、待ったんだ、わたしは。 これも、一例だね。しかし、もうすこし、大きなものが、まってそうよ。闇や、影は、このように、ろんじられてしまうと、もう闇でも、影でも、なくなってしまうけども。 来年は、対決のときかもしれん。みなさまにも、このようなときが、あるとおもいます。 いつくるかは、わかりませんね。しかし、なんか、たのしんじゃったほうが、いいよね、どうせなら。これなしは、さみしい、つまらなし、成長なし、ともいえるでしょ。 ヨーガは、おもろいよ。分かっていない部分は、まだ、まだ、でっかし。 でも、ヨーガさまさまやー。
by tkyoga
| 2005-12-22 22:26
| ヨーガ
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